健康には運動が必要不可。
それは誰もが知っている事だと思います。
しかし時にこの運動が義務感かのように重くのしかかることがあるのではないでしょうか?
もはや運動と聞くだけで拒絶反応が出る方もあるかもしれませんが、そもそもわざわざ運動といった言葉があるから嫌悪感を抱くのであって、本来は勝手に運動をしたくなるのが自然な体です。
数日動かない状態が続くと、「体を動かしたくて仕方が無い!」となるのが自然に湧き出てくる体の欲求です。
もしこの中で、「動きたくない。」「何もしたくない。といった状態が長期間続いておられる方がいるのであれば、もしかするとそんな動物としての本来の感覚を忘れているかもしれません。
本日の記事では運動が好きとか嫌いとか以前に、そもそも私達は体を動かすことに喜びを見出す生き物。といった話や運動の原点についてお話ししたいと思います。
皆様が改めて運動について考えるきっかけになりましたら幸いです。
動きたくなるのが動物
先程、動きたくなるのが自然な体。とお話ししましたが、その中でも分かりやすいのが子供です。
子供は東洋医学では陽の存在なんて表現をされていたりしますが、子供はそんな太陽のごとく外へ出て思い切り体を動かして遊んできます。
例えそれが冬で寒かろうが雨で濡れようがお構いなし。
体を動かす事に喜びを感じていて、もちろんそこに「運動しなきゃいけないから。」だとか、「健康の為にやらなきゃいけないから。」などいちいち理由をつけません。
ただただ体を動かす事に喜びを感じています。
しかしその一方で、体を動かせない状況が続くと途端に不調が現れてくるのも子供の特徴です。
では、大人の場合はどうでしょうか?
自分の心(頭)を優先するあまり、体の感覚は置き去りにされることが多いように感じます。
心(頭)ばかり使い体を動かさずにいるとどうなるかと言うと、どんどん体の感覚が鈍りどんどん動くのが憂鬱になります。
これではダメだと思い立ち、いざ動こうとすると体は痛い、怠い、重い、しんどいのオンパレード。
こうして子供と同様大人の体にも様々な不調が現れてきます。
頭を使えば使うほど動けなくなる
健康には心の健康と体の健康の両方が大切だと言われています。この2つのバランスが上手くいくことで初めて健康が成り立ちます。
ではこの2つのバランスを上手く保つ為には何が必要でしょうか?
私が東洋医学を学ぶ上で辿り着いた心と体を健やかに保つ方法は、「頭(心)を使って考えた事を体で表現する。」といったシンプルなものです。
しかし現代は頭(心)で考える機会が増え、体を使う場面が極端に減っています。
頭8、体2と言っても大袈裟ではないと思います。
パソコンやスマホの中身も定期的に整理をしないと処理が追いつかず動作が重くなるように、人間も情報量が多くなり頭(心)に比重が掛かれば掛かるほど体は動かなくなります。
そんな体と言えばまるで空気がパンパンに入った出口のない風船のよう。
胃が張り、消化不良になり、便秘になり、後にアレルギーやアトピーなどの症状も現れてきます。
「何だか鬱っぽい。」「動けない。」となった時、ほとんどの場合は頭(心)ばかりを使い、体を使えていない。使えなくなった状況の時です。
東洋医学ではそれを気働きと言います。
考えている時ってどんな時?
アメリカ国立科学財団のデータ(2005年)によると、「人間ひとりが1日に思考する回数は約6万回で、その内の約8割はネガティブ思考をしている。」と言われています。
たまたま私がこの記事を目にした時、点と線が繋がる感覚がありました。
こんな事を言ったら失礼かもしれないのですが、自分も含め何かを考え込んでいる時は大抵ろくなことを考えてないことの方が多いように思います。
このネガティブな思考は遥か昔の私達の祖先が狩猟・採集時代に敵と遭遇した際に過去の失敗を繰り返さないよう、危険を回避する為に現在まで残ったと言われています。
ネガティブな思考は決して悪いことではありませんが、必要以上に頭(心)で考え過ぎてしまうことは、私達が健やかな日々を過ごす為に欠かせない「頭と体の両方をバランス良く使って生きる。」ということからはかけ離れたものになってしまいます。
頭で考え過ぎる前に動く
小さな子供は考える前に動いています。
動物も同じく考える前に動いています。
自然界で動かないのは人間の大人だけです。
頭で考え過ぎて動けなくなってしまった時こそ体を動かす事で蓄積された思いが消化され、体の内側から力が漲り、次第に頭の中もクリアになってきます。
私がいつも患者さんにおすすめしている運動は外へ出て行う散歩やジョギングですが、もしもハードルが高ければ掃除、洗濯などの家事、なんだって良いです。
次第にそれが物足りなくなってきたら歩いて買い物へ行ってみたり、通勤する際の駅を1つ手前で降りてみたり、階段をなるべく使うなど、日常生活の中で体を動かせるタイミングは沢山あります。
そういった事を積み重ねていく内に動くこと自体が楽しくなって、今度は勝手に外へ出て散歩やジョギングがしたくなるはずです。
頭(心)は後からついてくる
そうは言っても実際に動こうと思うと、「そんな気分にならない。」「面倒くさい。」となり、結局動かない方も多いと思います。
もちろん一時的に疲れが溜まったので数日休みが必要と言った事もありますが、1週間、数ヶ月、何年単位で動けない。と言う方は、まずは頭(心)で感じる事は置いといて、先に体を動かす。頭を優先し過ぎない。というのを意識すると、初めは動くのが億劫でも動く事によって頭(心)が後からついてきます。
むしろ、動くからこそ「次はこれがしたい。」「あれがしたい。」などの欲求が高まり、次の行動に繋がる意欲も湧いてくるものです。
これは体で体感することなので、いくら文章や口で説明しても実際に行ってみた方ではないと分からない感覚なのですが、頭→体の矢印を体→頭にしてみる。
もしそこで少しでも手答えを感じる瞬間があったのなら、自分がこれまでこんなにも心優先で生きてきた事実を痛感すると思います。
また、3日、3週間、3か月と体に焦点をあてる生活をしてゆく中で、1度でも「なんか調子が良い。」と感じることができたなら、是非その体の感覚を忘れずにとっていて欲しいと思います。
運動の原点に戻る
改めて私達にとって運動とは何なのでしょうか?
体を動かす事にわざわざ「運動」といった名前をつけるから苦しくなりますが、子供の頃は体を動かす事が単純に楽しかったはずです。動く事に喜びを感じていたはずです。
現代の私達は何か1つ運動を行う度に「健康の為だとか、何歩歩かなきゃいけない、何分やらなきゃいけない、どんな方法が良い、どんな運動が良いか」など、いちいち理由を付けて頭で考えています。
かつて楽しく行っていたお気に入りのスポーツでさえ勝ち負けばかり考えていれば苦しくなる様に、運動のことを頭で考えれば考えるほど運動が億劫になり、頭で考えれば考えるほど楽しさも半減していきます。
体を使うことにいつもいつも頭を働かせなきゃいけないのであれば、誰だって運動が嫌になるのは当たり前ではないでしょうか?
「運動」という名は、体を動かす喜びの延長線上でついた名前でしかありません。
頭(心)の中で湧き上がる様々な感情を楽しむ様に、ただただ動くことに喜びを感じる。
そんな本来の感情を思い出して欲しいと思います。
本来の体の感覚を取り戻して欲しいと思います。
一旦頭の中を真っさらに、体の感覚に素直になってみる。
是非今日から運動することをやめてみて下さい。
最後に。
先日、いつも御用達のドッグランへ行ってきました。
この日の気温はマイナス13度。
我が家の大型犬は「待ってました!」と言わんばかりに全速力で敷地を駆け回り大はしゃぎ。
一方で寒いのが苦手な小型犬の方は、大型犬のそんな様子を見てイライラしながら当たり散らしています。
しかししばらくすると心がついてきたのか満面の笑みで楽しそうに遊んでいます。
頭の中でいつも色々と複雑に考え過ぎる人間より、動物の方がよっぽど生きる為に大切な事を知っているのかもしれない。そう深く感じた日なのでした。


それでは最後まで読んで下さりありがとうございました。
皆様が健やかな日々を過ごせますように。
どうぞ良い1日をお過ごし下さい。
追記:東洋医学では頭で考える事を心で考えるとされています。今回の記事では皆様に伝わりやすいよう頭と記載していますが、心と記載されていた場合にも、「頭の事なんだな。」と理解していただければと思います。