東洋医学から学んだ自己肯定感

私には8年程前から所属している東洋医学の勉強会があります。

私が鍼灸師になりたいと思ったきっかけは
東洋医学の「症状の内側(根本)を見つけ、治療する」そんな本質を見ると言う考えに心惹かれたから。

そんな憧れと期待に胸を膨らませ、資格を手にしたものの、現実は西洋医学的な施術法がほとんどであった鍼灸業界。

様々な治療院を転々としたが、真の東洋医学を学ぶと言う目的は叶わず、それでもその情熱を消す事が出来ずにいた過去。

当時、東洋医学を専門とした勉強会は全国的にも少なくその中でやっとの思いで見つけ入会を決めた勉強会。


初めて勉強会に参加した時に
私の居場所はここなんだ。と言う直感が冴えるのを感じました。

勉強会では、それぞれの患者さんの経過や症状などを述べながら今後の治療にプラスになることに対し意見交換を行なう場面があります。

その中でも先日は女性に多い「拒食症」をテーマに東洋医学視点で考えようという流れになりました。

過去に拒食症の経験があった私にとって、とても興味深く感慨深いテーマ。

そこに至るまでの経緯や思いの根本から探ってゆくのが東洋医学。

まず初めに痩せたいと思う入り口はなんなのだろうというところから始まる。

痩せたいと言う思いの発端となる理由をどんどん出していく中で
「綺麗になりたい」「美しくなりたい」

そんな単純な理由から最終的にはそれらは
「男性が求める理想像」なのではないか。

そんなところまで話は膨らんだ。

では、一体「細くて可愛い」「痩せていると綺麗」それらの基準は誰が作ったのだろう?

何故知らず知らずの内に綺麗の基準に
痩せている事が当たり前になってしまっているのだろう。

その時に私はハッと大切な事に気付かされました。

それは、

「世間の一般的な綺麗の基準」

に私達が染められているから。

テレビやSNSで見る芸能人、アニメや漫画のなかの主人公、その誰もが皆細い。

そしてそれらが綺麗の基準だと私達は自然と受け入れている。

私達が知らず知らずの内に“細くなくては綺麗ではない。“と言う思い込みに変わり、「美しいか美しくないか」の外見を判断する材料となっている。

更に、もっと深掘りすると、それらは男性が求める理想像の女性でもあるのではないか。

人間は自分よりも力の弱いものを支配できるよう、あらゆる動物を小さく改良し続けている。

私達の身近にいるペットがその代表的な存在です。

小さい=可愛い
若い=純粋


それらを好む本質的な思いは全て「服従させやすいかどうか。」

きっとそんな男尊女卑的な考えが根っこの部分にあるのは日本の歴史的な背景もあるのではないでしょうか。

もちろん、この世の男性全てが
可愛いや綺麗の基準に「細いかどうか」を前提と言う訳ではないと思います。

ただし、テレビやSNSなどキラキラしたものに目を通せば通すほど、そんな昔からの美意識の基準、
「痩せていれば綺麗」と言う無言の圧力から抜け出す事が出来ないのではないか、そう感じてしまいます。

ではどうすればそんな美意識の基準を抜け出す事が出来るのでしょうか。

一生懸命答えを探す中、辿り着いた答えは
「自己肯定感」とかいう言葉。

自己肯定と言うと何だか流行りにのった言葉のような感じもがするが、簡単に言えば自分を認めると言うこと。

自分は自分で良い、人と自分を比べない気持ち。
それら私が思う自己肯定です。

そして、改めてそんな答えに辿り着く中で
自己肯定と東洋医学の共通点を見つけた。

それは東洋医学の
「内面を見る」と言う考え方。

東洋医学の外面に出ている症状に目を向けるのではなく、症状の内側(根本)に向け対処することは外の基準に紛らわされることなく、自分自身を見つめることに繋がります。

外部のものに振り回されず、
自分と見つめ合う考え方。

そんな自己肯定と東洋医学の共通点。


かつて東洋医学の広い世界観と内面と向き合うと言う本質に心を動かされ目指した鍼灸師の道。

そんな東洋医学の内側を重視した考えと今回のテーマ自己肯定感「人と比べず自分自身を見つめ、認めること」の2つがマッチした瞬間でした。

そして、間違いなく私の自己肯定感と言うものは東洋医学のこの考え方により高められていると言っても過言ではありません。

現代は情報が溢れ過ぎて、次から次へと新しい情報が出ては消え、それらに並行するように本来唯一無二であるはずの自分の存在感も薄れてゆくように感じることもあるかと思います。


自分が自分である事を忘れ、自分の存在価値が分からなくなる。

多様性と呼ばれる時代でありながらも
どこか厳しく生きづらい。そんな時代でもあります。

多様性をもつ外国人の親を持ちながらも、日本と言う規律正しい国で育った私にとって、いつもそれらは課題でした。

派手で自由奔放、いつも自信満々な母。
厳格で常識や規律を重要視する日本人の祖母。
いつも私の生活の中にはダブルスタンダードが存在していた。

派手な外見は母の血をしっかりと受け継ぎながらも、中身は日本人らしい性格と言う何ともチグハグな私が出来上がっていました。

いつも派手な見た目で判断され、目をつけられながらも生徒会には自ら立候補したり、合唱は誰よりも真剣に歌う方だった。

しかし、そんな様々なチグハグ感を経験したからこそ分かる事があります。

自分は自分であり、型に当てはまる必要はないと言うこと。

人には必ず個性があり、生まれ持った性格があります。

人それぞれ感性が異なり、心地良い事や好きなもの、全てが1人1人異なります。

自分と言う存在は世界に1人しかいない、唯一無二。

誰が作ったか分からない綺麗の基準、そんなのは全く必要ない。

生まれ持った自分にしかない個性があるだけで、充分綺麗だと言えるのではないでしょうか。

むしろ、自分が自分を認めず誰が自分を認めるのだろう。

何十億人といるこんなに広い世界の中で、
綺麗の基準も無限大。

このような時代だからこそ、
世間に流されず自分軸であることが心の平穏を保つのに大切な気がしてなりません。

私はこれからも時代と逆境するように自分の内側と見つめい、本質を忘れずに生きてゆきたいです。

それが東洋医学から学んだ自己肯定感の保ち方。

(つい熱く語り過ぎた、そんな日でした。
温かな目で見守って下さいませ。)

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