気分の変化は自分自身を守ること。

心の中で起こる様々な感情は取り留めなく日々ころころと変化しています。

むしろ、ころころ変わるのが普通と言って良いほど。

しかし、世の中には「気分屋」の言葉があるように、一般的に気分がころころと変化するのは良くないこととされている気がします。

確かに何となく「気分屋」と言うとネガティブなイメージを連想させますよね。

しかし、実はこの気分が変化するいう事は私達の心や体を守る為に重要な役割を担っています。

気分屋に対するイメージが覆された言葉

昔は自分の中でころころ変わる感情、気分というやつが嫌いで仕方がなかった時がありました。

どうして自分はこんなにも気分に一貫性がないのだろうと苛立つ事もあった過去。

しかし大人になり、自分の中での気分屋にまつわるネガティブなイメージを覆してくれた素敵な言葉がありました。

それは現在も私が好きな言葉リストの中にしっかりと組み込まれている「朝令暮改」という言葉。

これは、東洋医学を学ぶ上で私の師となる人が教えてくれた言葉です。

この言葉の意味は「朝口にしていた事が晩には改められ、考えや言う事がころころ変わって一定しないことの意味」をもちます。

一見ネガティブのような意味に受け取られるのですが、東洋医学を学ぶ上でこの言葉が持つ意味は、私達が生きる上では欠かせない、あらとあらゆるものに共通する「真理」表した大切な言葉だったのです。

変わる事が当たり前の世界

私には毎日欠かせない日課があります。

それは、朝に少しの時間でも良いのでお散歩をすること。

このお散歩は、健康の為と言うよりも自分の体が
「動きたい」「太陽を浴びたい」という声に従い行っているものになります。

これをすると体の調子がすこぶる良くなり、その日1日を元気に迎えることが出来る、私の元気の秘訣と言って良い程大好きな時間でもあります。

そしてそんな理由とは別に、もぅ1つこの習慣を行う大切な理由があります。

それは、その日の天気をヒントに患者さんへ行う「治療方針」を決める為です。

鍼灸というのは「自然に順応した体作りを行い、自然治癒力を高める」ことがベースの学問です。

その日の気温、風の冷たさ、強さ等を自分自身の体で体感した上で、現在であればどんな”体の仕上がり”を目指せば患者さんの体が快適になるのかなどを考えながらお散歩をしています。

そして、そんな日々の日課をこなす中で常々感じることがあるのです。

それは、同じ季節、同じ時間帯、同じルート、同じ服装、どんなに散歩を行う条件を同じにしてみたところで、来る日も来る日もいつも異なる気温、いつも異なる湿度、いつも異なる風が吹き、風景、香り、肌の感触全て、二度と同じ日は現れないと言うこと。

「一見、そんなの当たり前でしょ?」そう突っ込まれてしまいそうな気もしますが、私達はいつの間にか同じ日々を過ごし、変化しないものが当たり前、確かなものがあると思い込み、目に見えて劇的な変化が起こると悲しみや恐怖に苛まれる。

それは体の事についても同様で、いつまでも自分には若い頃のような体力があると思い込み、年齢を重ねながらも昔と同じよな体の使い方を行った結果、ある人を堺に体が不調や病になってしまう。

時が刻々と進み、二度と同じ日々が来る事はないように、私達人間も若さが永遠に続くことはなく、知らず知らずの内にいつも変化を強いられている。

本当であれば、そんな「変化」が当たり前であり、動物、植物、人間、自然界のあらゆるものは全て変化の中で前へ進み続け、「変化」をすると言うことは時が進み、変化をしないことは死を表すように、変化は生きていく上での基本を表しています。

そして、そんな人の気分も「変わり続けること。」が基本なのです。

改めて「朝令暮改」の言葉を通し「変化」の中に隠された当たり前のように思えて、忘れがちな大切なことを思い出させてくれた言葉です。

そして当時、変わらないことが正義だと思っていた私に、ころころと変わりゆく自身の感情に嫌悪感を持っていた私に衝撃を与えたと同時に、この言葉のお陰により自分以外の人や自身に対しても寛容な心を持ち接することが出来るようになりました。

現在でも様々な場面で、人生の指針となり支えてもらっている言葉なのです。

気分に形はない、定まらないもの

いつもころころと変化し
柔軟に形を変えることが出来る気分。

その作用があるからこそ、怒喜思悲恐様々な心の中に執着しやすい感情に縛られ過ぎないよう、私達の心や体を守ってくれます。

また、その一方で形を変えずに同じ感情に浸り続けてしまうことは、私達の心や体に害を及ぼしてしまうことになります。

どんな感情も浸り続けると害になる

東洋医学での気分の中身には、主に怒喜思悲恐の5つがあります。

いつも穏やかに、どの感情にも偏らずに過ごせていたら良いのですが、悲しいことに私達人間はどちらかに偏ろうとする性質があります。

下記は東洋医学でのある一定以上に浸り続けると負担がかかりやすいそれぞれの臓器、感情、症状の一例になります。

・怒りは肝臓を傷つける。
イライラやヒステリック、必要以上の動揺を引き起こす。
頭痛やめまい、筋の引き吊り等の症状に。

・喜びは心臓を傷つける。
精神状態の不安を引き起こす。
顔色が悪い、呂律が回らないなどの症状に。

・思いは脾臓を傷つける。
優柔不断や思い悩み。
肉体疲労、体が重い、手足の冷えなどの症状に。

・悲しみは肺臓を傷つける。
暗く、泣き言が多い。
呼吸器系の症状に。

・恐れは腎臓を傷つける。
不安感や喪失感。
腰痛や生殖器系の症状に。

このように一定の感情に浸り続けてしまうことは心や体に負担をかけ、不調や病を引き起こしてしまう原因となります。

私が感情豊かと情緒不安定を分けるとするならば、様々な感情が短時間の内にコロコロと変化するのは「感情が豊か」であり、ある一定の感情に浸り過ぎてしまう場合を「情緒不安定」と考えています。

もちろん怒りやすい人、優柔不断な人、恐怖心をもちやすい人、前向きな人等、人それぞれ生まれながらにもった性格はあります。

しかし、そんな要素を持ち合わせながらも、日頃からどの感情にも長く浸り過ぎることのない、出来るだけ真ん中の心の状態を保つ事が出来たのなら、本当の意味で「心身共に健康である自分」に近づくことが出来ると思うのです。

最後に

気分はいくらでも変わって良い。
いくらあって良い。

それが自然、前へ進むことの意味。
そして生きる源。

怒れ。喜び。思い。悲しみ。恐れ。

様々な自分の感情を引き出し、
様々な自分を知り、

全ての感情を持ち合わせて、
自分自身を最大限に楽しみましょう。

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