こんにちは。
あっという間に年末となりましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。
当院は昨日30日にて、年内の診療が終了いたしました。
「冬は気持ちを落ち着けて、ゆっくり過ごす。」が東洋医学での養生法とは言えご来院頂いた皆さんもお疲れな様子が垣間見えました。
疲れは時間差でやって来ます。休み期間中はそんな疲れを癒すべく、なるべくゆっくりと過ごされて頂ければと思います。
そして改めて、本年も当院にお越し下さりありがとうございました。
患者さんから感謝の言葉を伝えて頂きましたが、私自身患者さんとの会話や施術を通し学ぶ事が沢山あります。
それによって改めて自分自身を振り返るきっかけや治療家としての原動力になっています。
いつも本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございます。
来年も引き続き1人でも多くの方の健康の力添えが出来るよう精進してゆきたいと思います。
来年もどうぞ宜しくお願いいたします。
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さて、突然ですが私は体に向き合い体を整える事は、人生をより良くする事だと思っています。
また同時にこの激動の時代を強く生き抜き自分を守る術だとも感じております。
昔と現代、どちらが良くてどちらが悪い。そんな事を安易に言うつもりはないですが、健康とは?心や体を整えるとは?といった事を様々な角度から深める先にいつも立ちはだかる壁があります。
本日はそんな壁と、なぜ体を整えることは自分を守る事に繋がるのかといった内容をBlogにまとめています。
1人でも多くの方の参考になりますと幸いです。
体を守る為の風習があった時代
私達が住んでいる日本には、春夏秋冬という美しい四季がはっきりとあります。
気温だけでなく、季節ごとに育つ野菜や咲く花、活発になる生物が異なり、季節に因んだ日本ならではの行事も沢山あります。
二十四節気は、一年を春夏秋冬の4つに分け、それぞれ6つに分けた、約15日毎に移り変わる季節の指標です。
二十四節気が切り替わる毎に季節に合わせた旬の食材、服装、生活習慣を変化させながら日常に取り入れることで、心身の不調を防ぐといった意味合いがあります。
これは、自然と調和し健康を保つための日本の伝統的な知恵です。
また、そんな季節の節目に合わせた「節句」や「お祭り」などの伝統文化とも深く結びついています。
直近では、12月22日に二十四節気の1つの節目である冬至を迎えました。
冬至は一年で最も昼が短い日で、これから日が長くなることを意味します。
冬至に因んだ言葉に、「一陽来復」と言った言葉があります。
陰(いん)の気が極まって陽(よう)の気が戻ってくるという意味で、冬至は「復活・再生する」という節目を意味します。
この日を境に、悪い運が終わり幸運が巡ってくると信じられ、「新しい1年の始まり」「運気を高める」「無病息災を願う」といった意味合いでカボチャを食べたり、柚子湯に入る風習があります。
また、年末の大掃除や12月31日の大晦日に頂く年越しそば、除夜の鐘、年の湯なども、罪穢れを払い新年を迎える為の恒例行事になります。
このように二十四節気から始まり古くから「節目」を意識する日本の風習には、自分自身の心を新たに入れ替える為の機会や心や体の状態に目を向ける事、物事や日々の流れの中にメリハリをつける事など、私達の健康の基本。心と体に通ずる昔の人々の知恵がつまっています。
それは即ち、本日のテーマともなっている「過去には私達の心と体を守る為の習慣があった。」とも言い換えることが言えます。
しかし現代はどうでしょうか?
日々の忙しさに追われ、そうした季節の変化や節目を意識する機会が減ってきているように感じます。
季節感がないこと。節目の意識がないこと。
それは一見自由といった見方も出来ますが、よほど意識をして生活をしなければ、日々移り変わる変化に対する意識もなく、自分自身を振り返る事もなく、季節に適応するといった概念もない、まるで人間は機械かのように漠然と日々を送る事になります。
そして何より四季の移り変わりがはっきりし、世界の中でも天候が変わりやすい日本という国の中で先人達が継承してきた「季節の変化(四季・二十四節気)と調和しながら心と体を健やかに保つ。」といった、言わば“自分を守る為の基本的な術”が季節感や節目の意識が薄れることにより、無くなっているような気がするのです。
自由の中の不自由
好きな事を好きな時に好きなだけ。
現代は様々な選択肢が増え自由である反面、自由だからこそ自分の中に当たり前のルールや基本的な指針を強く持たなければ、好ましくない方向へ偏り過ぎてしまうことが沢山あると思います。
それは先程お伝えしたような二十四節気の季節感や節目が無くなることで、本来守られる筈の私達の心や体が守られるのが難しくなるのと同じような事です。
基本がないと応用ができないように、基本があるから応用ができ、基本ができて始めて自由を満喫する事ができます。
体を整えることは、健康の基本です。
好きな食べ物ばかりに偏り栄養失調の体、季節に適応出来ずに季節毎に体調を崩す体、いつもどこかしら痛みや不調を抱えているといった健康の土台が不安定な体である以上、いくら高価なサプリメントや即効性の高い薬で痛みや不調を誤魔化したとしても、本当の意味で効果を得る事は難しいように思えます。
そしてそのヒントが二十四節気、節目などの過去の日本人の暮らしの中に転がっていると常々感じています。
全てを取り入れる事は難しくても、
1,季節のものを頂く。
2,なるべく体にとって自然のもの・質の良いものを頂く。の2つは体を整えゆく為に欠かせない健康の基本です。
健康に必要な基本を知ることで、初めて自分の体に意識を向ける事が出来ます。
当たり前が助けてくれるもの
大人になり、つくづく思うことがあります。
それは、子供の頃に親や学校の先生・習い事の先生から口酸っぱく教えられた“おはよう。はい。ありがとう。ごめんなさい。頂きます。ご馳走様でした。好き嫌いはしない。姿勢は良くしなさい。靴は揃えなさい。素直でいなさい。”などの生きていく上での基本的なルールです。
当時の私は「毎回同じ事ばかり言ってきて、面倒臭いなぁ。」「そんな事、何の役にも立たないでしょ。」なんて、反抗的な態度をとっていたりした事もあったのですが、大人になり痛感しているのは、何か自分が困った時や壁に立ちはだかった時、そんな基本的な過去の教えがいつも自分の事を助け支えてくれるということです。
もちろん全ての事を完璧にとは言えないのですが、当時は右から左に受け流していたように思えた数々の言葉達が自分の中で生き、自分を助けてくれる存在になっていると気付いた今、当時根気良く伝え続けてくれた大人達に感謝の気持ちが湧いてきます。
また、先程お伝えした健康に必要な基本のルール2つに加え“好き嫌いをせず満遍なく食べる、食べ過ぎず腹八分に留める、出されたものは残さず食べる。”など、かつては私達の食習慣に当たり前に根付いていたものであり、その1つ1つに昔の人の心や体を整え守る為の知恵が込められています。
当たり前のルールや基本的な指針が薄れ、良い意味でも悪い意味でも自由になった現代、つくづく当たり前の事を当たり前にやる事の大切さや当たり前が助けてくれるものの尊さを痛感するばかりです。
これからは、自分の体は自分で守る時代
現代は自然と調和し健康を保つための二十四節気が忘れられ、季節に伴う年中行事も年々薄れ、季節の節目が感じづらい事や利便性も相まって、1年の自然のリズムとかけ離れた生活が送られています。
人間は自然から離れれば離れるほど不調や怪我が起きるように、近年は症状も複雑化し、小さな子供から大人まで様々な心身の不調に悩まれている方が多いように感じています。
しかし、昔のような自分自身を守る術が薄れている今、今後は自分の体は自分で守る必要があると思います。
自由な時代だからこそ、今一度基本を見直し、体に向き合う事の必要性を感じています。
人生をより良くしてくれるもの。
私には中学生の子供がいます。
職業柄、体調の事なんかは普段から伝えているのですが、当の本人は上の空。
しかしいよいよ忠告していた事が身に降りかかりそうになると、本人なりに気を付ける様子が垣間見れます。
果たして自分の言葉がどこまで響いているのか、役に立つものになるのかは分かりませんが、かつて自分がそうであったように、伝え続けている言葉がいつか何かの場面で手助けしてくれると良いなぁ。と思っています。
また、健康にとって欠かせない体の基本となるものが忘れさられている今、親が子供に教えてあげられる事の1つなのかもしれません。
改めて体は一生付き合い、使い続けなくてらならないものです。
冒頭で体をより良くすることは人生をより良くする事と同じ。とお伝えしましたが、自分の体の状態を知ることは自分自身を深く知ることになります。
それには、自分とのコミュニケーションが必須です。
自分とのコミュニケーションが上手くいかなければ人とのコミュニケーションが上手くいかないように、自分とのコミュニケーションが上手くいくことで、初めて人とのコミュニケーションも円滑なものになります。
それは決して健康といった小さな枠に収まらず、仕事・家族・友人・育児など、様々な場面で人生をより豊かにしてくれるものだと感じています。
最後に。
冒頭でお話しした健康のこと、心や体をより良くするには何が出来るだろう?と考える時にいつも立ちはだかる壁と言うのが、「基本的なこと・当たり前の事」の重要性です。
どんなに知識を振り絞ってみても、どんなに東洋医学の医学書を読み漁っても、まずは基本な事が出来ているのだろうか?といった原点に引き戻されます。
こんにちは、こんばんは、ありがとう、ごめんなさい。には“自分が敵ではなく味方や仲間ですよ。”といった事を相手にアピールし、心の距離を近付ける意味があるそうです。
現代は、医学の進歩により他社多様な診断名があります。
診断名が付いてない方の方が珍しい時代かもしれません。
私もきっと病院に行き検査をすれば、何かしらの診断名がつく人間の1人だと思っています。
しかし、「〜症、〜障害だから人とのコミュニケーションが上手くとれない。」とお話しになる前に、上記の基本的な挨拶が出来ていない。といった場合も少なくありません。
物事が上手く進まない時、よくよく振り返ってみるとその基本が出来ていないことが多いです。
また、情報過多なこの時代にそういった基本を知らない方も多いように感じています。
基本的な事を当たり前にやる。
一見とても簡単なようでいて、とても難しいことかもしれません。
しかし、あらゆる事に対し当たり前のルールや基本的な指針が薄れている現代だからこそ、改めて原点に立ち返り、基本を丁寧に積み上げていく事の重要性を感じています。
私に出来ることは、皆様の心や体を通し健康の手助けを行うこと。
2026年は、「体を整えることは、自分を守ること。」のキーワードを胸に、1人でも多くの方がこの激動の時代を笑顔で過ごせるよう精進いたします。
皆様にとって心身共に健やかな1年でありますように。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。良いお年をお迎えください。