健康になることは、キャパシティが広がること

先日、2年振りに母が札幌に遊びに来ていたので
自ずと外食する機会が増えました。

7日間の内、計5日間は外食。
自宅で食事するのは2日程。

それに加えお酒もかなり飲み、外食とお酒のコンボ。

正直、今まで自分の体に起こる反応を
考えると2週間後の自分が憂鬱に思う事もありました。

しかし結果的に言うと、悪くなるどころか拍子抜けしてしまう程の今までにないプラスの変化を感じることが出来ました。

健康に携わる鍼灸師という仕事を通じ、東洋医学、体、健康、食を学び、紆余曲折ありながらも、早15年。

そんな15年目にして起きた新たな体の変化。
そんな話を今回は書き綴りたいと思います。

以前の体と現在の体の違い

以前の私の体は、食べたものがダイレクトに体に現れる体だったように思います。

それは質の良いものも悪いもの両方であり、
例えば冒頭のように外食とお酒の機会が連続して続いた時に極端に「浮腫み」が出現して中々元に戻る事が難しい。

そんな体のパターンが定着していました。

質の良いものを食べると体は綺麗におさまり不調を感じにくく、質の悪いものを食べると体は途端に悪くなり、不調を感じてしまう。

そんな、良いか悪いか。

私の体の中には、いつも究極の2つの表現方法しかなく、真ん中にある“普通”がいつもなかったように思います。

しかしそんな自分の普通(真ん中)を探るべく、自分が思い描く「健康とはこんなご飯」から一旦外れ、調味料や調理法には気をつけつつも、和洋中様々な料理を作り、様々な野菜を食べ、時にはスイーツなんかも食べながら、自分自身へ取り込むものをどんどん増やしていきました。

その結果、今までであれば体に堪えるような食生活を送っていたとしても、その以前とは何ら変わらない“普通の体”を手に入れる事が出来るようになりました。

体の健康土台が上がると現れる変化

・口に出来るものが増えてくる

体の中が綺麗になり健康の土台が引き上がると、
綺麗になった分、受け入れられる体の許容量が増えるので、以前よりも口に出来るものが増えてきます。

容量が少ない時には、体に悪いと言われているようなものを取り入れると直ぐに不調として現れ、悪いの一方しか反応が得られなかったものが、健康土台が上がると良いか悪いかの極端な反応が少なくなり、どちらにも振れない“普通”が現れてきます。

そうなると、例えお酒やお菓子などの健康とは掛け離れたものを多少口にしたとしても体にダメージは大したかからないので、おのずと口に出来るものが増え、様々なものを満遍なく楽しみながら食べられるような体へと変化してゆきます。


・嫌いなものがなくなる

患者さんとお話しする上で1番良く耳にする体の変化は、この「嫌いなものがなくなる」と言うものです。

体の健康土台が上がり、体の許容量が広がると不思議と以前は嫌いで食べられなかったものがふと食べられるようになったり、好きになったりします。

これは、健康のボーダーラインが以前より上がることで、体だけではなくその方が受け入れられる心のボーダーラインも一緒に上がっているから。

東洋医学では、心と体は繋がっていると言う考え方をしますが、正にこの嫌いなものがなくなるというのは、体と同時に受け入れられる心の許容量が広くなっている事を現します。

ふと、そのような喜ばしい話を聞く度に私の頭の中に浮かび上がる1つの言葉を思い出す。
おばあちゃんが幼少期にいつも言い聞かせていた「食べ物の好き嫌いはしてはいけない」の言葉。

この言葉の裏には、
「受け入れる前に良し悪しを判断すると、
心が狭くなってしまうよ。」
そんな意味合いが含まれているような気がしています。


・多少の事では揺れ動かない強い体になる

健康土台が上がり、自分自身の“普通”が安定してくると、多少一時的に暴飲暴食が続いたくらいでは揺れ動く事が少ない強い体へと変化します。

むしろそんな食生活を送ったとしても、また切り替え明日から頑張ろう。
そんな明日への活力となる栄養剤のような役割を果たしてくれます。

そして、もぅ1つ大切なことは、
そんな多少の事では揺れ動かない強い体と同時に心にも変化が現れ、極端な感情の振れ幅が少なくなること。

強い体が心を引っ張り、なるべく真ん中にいられるよう引き上げてくれます。

極端はかえってキャパシティを狭くする

健康になりたい。

そう思った時に、自分自身にかける重い制限。

今まで自分が行ってきた全ての悪習慣と呼ばれるものを一旦止め、様々な健康法や食についての知識を膨らませながら実践する中で、ふと自身が行ってはいけないと思う健康から掛け離れた事を他人が行っているの目にすると、不満が出てきたり、怒りのようなものが湧き上がってきたり。

いつしか、自分自身を幸せにする為に健康を目指している筈が気付けば却って自分のキャパシティが狭くなっていた。

そんな事は誰もが経験をしたことがあるかと思います。

東洋医学には表裏一体という言葉があるように、不思議なもので、極端な考え方は極端な自分を産み出し、突然今までの反対の考え方にシフトしてしまう事があります。

常に真ん中ではない、極端な考え方をもっていると、自分自身の考え方を狭め、自分の世界を小さく不自由なものにしてしまう。

そして、同時に相手の考え方や見方さえも自分のキャパシティに合わせ窮屈にさせてしまいます。

私が鍼灸師として健康に携わり15年、
健康にまつわるあらゆる事を行いながらも
結果的にこのような「多少の暴飲暴食をしても、揺さぶられる事のない体」を手にすることが出来たのは、最低限の食の基本ルーティンを日々こなすと同時に「好き嫌いなく、様々なジャンルのものを美味しく食べる。」この要因が間違いなく自分に対して良い効果をもたらしてくれたものだと感じています。

そして、それらは日々変化してゆく患者さんの体や言動などを通し、より確信をもたらすものとなっています。

「これしか食べない」「この健康法しかしない」そんな制限をかけずに好き嫌いなく様々なジャンルのものを食べられることは、一見健康から程遠いように見え、1番の健康への近道です。

本来の健康は、自分のキャパシティを広くしてくれるもの

何かに偏る事なく、全てが美味しい。

本来の健康とは、そのように思えるようになるまでの体の許容量と心の許容量を広げる道のりだと感じています。

それらは、体の健康土台はもちろん心の豊かさをも広げ、極端ではない真ん中の位置へと自分自身の身を置いてくれます。

健康は制限がかかるものではなく、むしろ自分自身のキャパシティを広げ、自分自身の世界を広く豊かにしてくれるものです。

最後に

もちろん私がそのような体に至るまで、体の中を綺麗にする為の基本的な食事や運動など根気よく行ったからこその今があります。

ここで言いたいのは、決して自分が好きだと思うものを好きなだけ食べて健康を得られると言うものではなく、あくまでも体が元気になる栄養を様々な食材を頂き得ることが基本です。

また、同時にその一定の食事量や種類が得られない時にはなんとなく体が「物足りない」そう感じられるような状態でもあります。

そんな視点での、「様々なものを食べる」と言う1つの表現になります。


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改めて、健康って奥深い。
体だけではなく心にも影響を及ぼすもの。

食の世界を広げることで、心の世界も広くなる。

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