私達人間はいつも100%の「良い自分」を目指す。
いつも元気でなくてはダメ
笑顔でいなくてはダメ
明るくなくてはダメ
そんな知らず知らずの内に幼い頃から植え付けられてきた固定概念。
体を動かしたら体力を消耗し疲れるように、
気を使い過ぎても体力は消耗する。
実は東洋医学では気力と体力はとても密接に関係しています。
東洋医学で言う気力と言うのは、
五臓六腑(人の内臓器官)の中での「肺臓」と深く関係しています。
東洋医学での肺臓の働きは、全身の呼吸をコントロール、栄養を体全体に生き渡せる、外からのウィルスなどの侵入を防ぎ体を守る働きがあります。
そして、気力という言葉にも使われている「気」とも密接に関係しています。
気と言うと、何だか怪しさ満点に思う方もいますが、私達の身の回りには
「元気」「やる気」「気合い」「気分」
など様々な気のつく言葉が沢山あり、日常的に使っている言葉ばかりです。
そして、気のつく言葉というものは全て肺臓の働きと関係し、もっと言うと感情とも関係が深い。
一言で言うと、気と言うのは
「感情」のようにころころと状況次第で形を変え、変化していくもの。
気分次第で変わりゆく、形のない心情です。
ここでは、分かりやすく気=感情としましょう。
話が戻り、この気というもの(感情)を張り巡らし過ぎると、前述したように体力も一緒に減退する。
私は鍼灸師という職を通し、患者さんの悩みと向き合う中で、時より直面する事があります。
鍼で体を整え、患者さん自身食生活や生活習慣を見直し、体としては体力がついて、良い状態に回復してきているのにも関わらず、なんとなくパッとしない、元気が目に見えて出て来ない。という方がいらっしゃいます。
そんな時、私は患者さんにこんな言葉を投げかけます。
「日常生活で必要以上に気を使い過ぎていませんか?」と一言。
そんな問いに対する答えはいつも「YES」
そして、長年張り詰めてきたものが一気に
弾けるように泣き出してしまう方もいらっしゃいます。
しかし、その方々の共通点と言うのは、
世間の鏡と言われるような「紛れもなく良い人」ということです。
気を使うという行為は、それだけ人の体力を奪います。
患者さんの施術を通し、日々思うことは、気疲れしている方がとても多いということです。
いつも色々な事に気を使い過ぎては疲弊し、そんな事が「当たり前」「美しい」と私達は当たり前の価値観として幼少期から自然と植え付けられてきたように思えます。
ただでさえ年齢を重ねれば重ねる程体力は落ち、健康である事にはいかに体力を温存するか、そして体力を増やしていくかが重要になります。
実は、体力がいかに作ってゆけるかどうかが年齢を重ねても尚「健康」でいられる事の分かれ目でもあります。(鍼灸は、その体力を補うことが基本的な役目です)
若い頃のように、どれだけ寝なくとも、ノンストップに体を動かし続けようとも「疲れない。」
そんな機械のような疲れ知らずの体は30代をむかえ、陽から陰へ入った時点でどんなに元々体力がある方でも、体力をつける正しい方法を身につけなければ健康を維持する事は出来ません。
そして、10代や20代の時と変化のない生活をしようとすると、いずれ心や体、色々な不調が出現するようになります。
体はいつもシンプルで正直なのです。
そのように、体力は温存していかなくてはならない一方で年齢と共に重くのしかかる「ちゃんとしなきゃいけない」気を使い続けなくてはならないと言う暗黙のルール。
そんなルールが知らず知らずの内に自分自身を縛り付けてゆきます。
実際に現代の方は「鬱」になったり引きこもりになる人がとても多く、感情のコントロールも難しいと言われています。
しかし、良く良く考えてみると、自分自身の体力を超え、日常的に神経を削ぎ落とし気を使い過ぎていたら次第に”心“にもしわ寄せがくるのは当たり前ではないでしょうか。
それこそ日々がしんどく、人と話す事さえ嫌になると思います。
ただでさえ世の中には暗いニュースが多く、
見たくない、聞きたくない、見たくなくても情報量が自然と入ってくる世の中です。
そんな環境の中で、必死に自分を保つだけでさえも私達は充分やっているのではないでしょうか。
家でも外でも人に過剰に気を使い、疲弊してゆく心と体。
そんな方々はもれなく頑張り屋なのです。
頑張り過ぎた分の皺寄せ
頑張り過ぎた分はどこかに皺寄せがくるようになっています。
東洋医学には陰陽という言葉があり、
全ての物事には陰と陽が存在し、
自然界全てのバランスを保っています。
それは、自然界だけではない
私達人間にも存在しています。
例えば外で100%の気を張り詰め頑張る自分がいたら、どこかのタイミングでその糸はぷつんと切れ、今度は180度違う自分に切り替わります。
これは、誰もが経験があることだと思いますが、何かをやめなきゃいけないと思えば思う程余計にやりたくなる衝動。
日常的に抑圧や我慢をしていることが重なり限界がくると。やがてその我慢はどこかで爆発します。
それが陰の方に働けば家にこもる、鬱っぽくなりますし、陽の方へ働けばヒステリックになります。
外へ発散するのか内に発散するか、
それは人によって様々であり、陰か陽、どちらの性質を誰もがもっています。
ただし、どちらも共通することは、日常で「気を張り過ぎていたこと」の反動。
そしてそれらは、今まで抑圧や我慢してきたものが多ければ多い程大きくなります。
どこかでそうやってバランスを取らなければし心と体が壊れてしまう。そんな体からの訴えが行動に起きていること。
そうする事で「自分自身を保とうとしている」術です。
限界を迎える前に出来ること
残念な事にその極端な爆発があればあるほど心や体に広がるダメージも多きくなります。
それでは、一体どうしたら良いのでしょうか。
その答えは、タイトルのように
100%の自分じゃない、50%の自分を目指す事。
いや、むしろ「50%の自分が丁度良い」
どうしても「頑張り過ぎてしまう」自分を緩め50%の自分を目指す。
“必要以上に気を使い過ぎず疲弊しない。”
初めは癖のようなものなので、中々抜けません。
しかし、それを「自分の為に」少しずつ解き放つ。
そうすると、不思議と自分の50%と言う力がどれほどのものなのかが徐々に分かってくるようになります。
そして50%の余力がある分、視野が広がり、自分自身の事が良く分かり、見えるようになります。
以前のような、いっぱいいっぱいで余白のない
日常の中に、少しの余裕が加わり、辺りを明るく照らしてくれます。
年齢を重ねると言うことは、体力をいかに作り抗うことです。
体力をつくることももちろん大切ですが、と同時に気遣いをし過ぎることを減らしてみる。
もっと気楽に年を重ね、50%の力で、過ごしてゆきましょう。
気楽に生きたって良いじゃない。
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