運動は健康の為?運動は動物の基本。

東洋医学を学ぶ時のヒント

私はこの東洋医学を学ぶ際に行き詰まってしまった時、いつも植物や動物からヒントをもらう事がが多いです。

なぜかと言うと、東洋医学は2千年前から現在まで「自然の法則」をベースとして発展してきた医学だからです。

特に今回のBlogのテーマ、運動においては動物から学ぶ事がとても多くあります。

現代は、運動は健康の為に行うものだと思われている場合がほとんどですが、これまでの人類の歴史をみても、運動は健康以前に私達が生きる上でとても重要な役割と意味をもっています。

運動は健康のため?

現代は健康ブームの最中、様々な運動法があります。

私自身もこれまで様々な運動を行ってきましたが、どんな運動に関わらず体を動かした後は必ず体がすっきりし、心も晴れやかになります。

しかし、運動を行うきっかけはいつも「健康の為」です。

運動を行えなかった日は自分に対し嫌悪感を抱き、健康な体を手に入れたいと思えば思うほど、「運動をしなければならない。」と言う義務感が膨れ上がり、まるで運動をタスクかのように感じていた自分がいたのです。


そんな私にヒントをくれたのは我が家にいる2匹の犬達でした。

運動の理由を考えるのは人間だけ

我が家には小型犬と大型犬が2匹います。
2匹とは、朝夕とお散歩に出掛けるのがいつものの日課になっているのですが、雨の日も風の日も雪の日も「お散歩行く?」と声をかけると全身で喜びを表現する2匹。

そんないつもと変わらない光景を目にしたある日、ふと「この子達は、日々のお散歩を運動の為だと思って行っているのだろうか?」という疑問が頭によぎりました。

当然の事ながら、答えはいいえです。


明らかに2匹は心から体を動かす事に喜びを感じ、心から楽しい様子が伝わってきます。

何故か良くわからないけど、動くと楽しい。
そこに健康の為だの体の為だのという考えは微塵にも感じさせない2匹の様子を見て、運動のヒントを教えてもらったのと同時に、人間は他の生き物よりも遥かに脳が発達し、様々な考えを張り巡らす事ができる反面、頭の中で余計な事をこねくり回し状況を複雑化させてしまう生き物なのだなと感じたのです。

また、私達の体には”わざわざ運動をしよう”
などと思わなくても、実は「体を動かしたい」と言う欲求が備わっています。

動きたくなるのが動物

私達は当たり前かのように、人間と動物を線引きしていますが、元を辿れば人間は哺乳類でヒト科(オラウータン、ゴリラ、チンパンジー)に含まれる動物です。

私達人間もかつては自然界で生きる動物達のように自分の体を使って獲物を狩り、自分の体を使って家事や育児、身の回りの全ての事を行なってきました。

人類の歴史は600万年程と言われていますが、実は現代の社会のように農耕と牧畜の生活が始まったのは今からたった1万年前の事であり、それ以前はずっと狩猟採集生活を行ってきたと言われています。

つまり、何が言いたいかと言うと現代のような体よりも頭を圧倒的に使う社会になったのは、600万年の人類の歴史の中ではたった1万年程の歴史にしか過ぎないのです。

むしろ狩猟採集生活時代は、頭を使う以上に「体における役割」が重要視されていました。

そのような歴史の背景から見ても、私達が想像する以上に体を使うことは、「本能」のようにして体にも刻み込まれている筈です。

また、自然界で生きるあらゆる動物の中でも体を動かさない、もしくは動かさなくても良いと感じているのは私達人間だけです。

どんな動物も生きる為に休む・死を迎える時以外は体を動かし続けています。

運動は動物の原点であり、動物の基本です。

体が整うと、勝手に体を動かしたくなる

私自身の体感や、患者さんの様子を観察していると、体が整い心身の状態が健康になると勝手に体を動かしたくなってきます。

動かないと体がむずむずしたり、もやもやしたり、何かしらの体からのサインが現れ「動きたい欲」が自然と湧き上がります。

特に自然界のエネルギーが外へ外へと向かう春や夏は、自然界の植物が新芽を出し繁茂するように、動物達は冬眠から明け、動き出すように、人間も同じように「体を動かしたい。」と言う欲求が高まります。

それは植物や動物などと同じように、私達人間も自然界の中で生きる一部という証であり、東洋医学の自然の法則のように、季節と体は切っても切れない関係だと言うことを現しています。

体が整うって何だろう

では、体が整う状態とは一体どのような状態なのでしょうか?

私が考える体が整う状態とは、一般的には当たり前だと思われている肩こりや頭痛、生理痛、アレルギー等の症状が慢性的にない体です。

季節が春夏秋冬と変化し進んでゆくように、人間も日々年齢を重ね二度と同じ日が来ないように、私達は常に変化の中で生きていますので、体の状態にも波があります。

しかし、時に波の中で揺さぶられながらも、常に大きく揺さぶられ続ける状態ではないと言うのが、私が考える体が整う状態です。

小さく衝動しながらも、大きく調和できる体。
体に対する事はもちろん、人間関係にも通じる言葉として、私が大切にしている言葉でもあります。

体が整う3セット

動物の基本は動く、休むの2つ。
至ってシンプルです。

それに加え人間の場合は、頭の中で考えを思考していく事も大切となります。

体を動かす、考える、休むことを私は体を整える為に必要な3セットと勝手に呼んでいます。

そしてこの3つのバランスが1日の中で上手く保てるようになると、慢性的な痛みや不調が体に起き続ける言うことはありません。

余談にはなりますが、私がこのBlogを書いている理由は東洋医学の知識を届ける事で、少しでも皆様の心や体の健康の手助けが出来たら嬉しいと思うのと同時に、実は3セットの中の「考える」時間を1日の中に意図的に取り入れる為でもあります。

1つの記事を完成させるまでに1日1時間、1週間程時間がかかるのですが、その1日1時間でも頭をフルに使い「考える時間」を作ると、良い意味で頭が疲労感を感じ、眠りの質がとても良くなります。(実は、このBlogは自分の為でもあるのです。)

もちろん頭を使う以外にも体を使う、休むを行った前提での話にはなりますが、集中的に頭を使う時間を作ると生活の質が上がり、体の調子が良くなることを体感出来ると思います。

反対に、頭だけを使い過ぎてしまった場合は体は緊張し、寝つきが悪い、夜中何度も起きてしまう
、疲労感が抜けない等のような不調が現れます。(特に現代は、このような方がとても多いです。)

運動を義務だと思うと苦しくなる

細かな理屈などを抜きにして、動物の本能として「体を動かしたい」という欲求を誰もがもっています。

そこに「○○の為。」という理由をつけたがるのは自然界の中で生きる人間だけであり、それにより苦しくなるのも人間だけです。

話が逸れますが、現代の子供達は外で遊ぶよりも、家の中でゲーム等をして遊ぶ事の方が多いと言われています。

しかし、私はこれまで一度外で遊ぶ楽しさを体感してしまうと、ゲームがつまらなくなる。という子供達の姿を沢山目にしてきました。

子供はゲームなどの非現実的な夢の世界よりも、現実の外の世界の方が何倍も楽しいんだ。と言う事が体を通し分かるようになると、親がゲームを辞めなさい。とわざわざ言わなくても勝手に外に出て遊ぶようになります。

昔から子供は遊びの天才と言いますが、現代はそのようなきっかけが少ないだけで、きっかけさえ掴むことが出来れば、子供達は雨の日も風の日も雪の日も勝手に外へ出掛け、夢中になって遊びを見つけ出します。

そのような子供達の様子を見聞きしていると、例え時代が変わっても「子供の本質」は変わらないのだなと思わされます。

そして、理屈を頭で考え過ぎる私達大人よりも、子供達や動物達の方がよっぽど自然的で、素直な生き方をしているなぁ。と感じるのです。

気分を変えるより、体を変える方が簡単

気分が乱れ沈んでしまった時、イライラしてしまった時、私達は何とかして気分を変えようとします。
しかし、気分を変えることは私達が想像する以上に難しい事です。

東洋医学では気という言葉が頻繁に使われるのですが、気は決して怪しいものではなく、日本には強気、弱気、勇気、勝ち気、やる気、根気、景気等の気のつく言葉が沢山あります。

では、この気は一体何かと言うと、
1つ目は人々の気持ちを表すのと、
2つ目は何かを動かす時に発生するエネルギーを表します。

そう言った意味から、気分を変える為には気持ちを動かす為のエネルギーが必要になります。

しかし残念ながら人間は、新たに気持ちを動かすエネルギーよりも、今感じている気持ちにエネルギーを向け、抜け出せなくなる性質があります。
つまり、気分転換がとても苦手と言うことです。

そんな時に真っ先に気分を変える簡単な方法が体を動かす事になります。

体を変える方法とは?

東洋医学では気分を心とも表現するのですが、気分(心)を変えるのは難しくても、体の状態を変えるのはとっても簡単な事です。

気は何かを動かす時に発生するエネルギーとお伝えしましたが、体を動かすことで体からもエネルギーが発生します。

東洋医学には心と体は繋がっているという意味をもつ心身一如(しんしんいちにょ)という言葉があるのですが、体を動かす事は気分(心)を動かす事に繋がるのです。

運動に捉われなくても大丈夫

体を動かすと言えば、運動をしなくてはいけない。と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、
家事も体を動かす事の1つですので、家事だって構いません。

体を動かす際のポイントとしては、体が整う3セットでもお伝えしたように、もし家事で体を動かすと決めたのであれば、掃除なら掃除にフルに集中し、食器洗いであれば食器洗いにフルに集中します。

〜をしながら。と言うよりは、今行っている事だけに集中し、エネルギーを発散させるイメージです。

そうすると、不思議と落ち込みやイライラなどの気分が薄れ、体の中に活力が湧き、気分が前向きになるのを体感出来ると思います。

気分が揺れてしまった時に、初めは10分15分でも良いので体を動かす事を日常で癖付けてゆくと、やがて家事を行う事から外へ出掛けたい。歩きたい。走りたい等に変化し、どんどん自分自身の内側から動きたい欲が高まってきます。

そして、その内に運動は健康の為と言う概念が薄れ、シンプルに動く事が気持ち良いと感じられるようになる筈です。

私自身も昔は何事も気分中心で動き、沢山の失敗を重ねてきた人間なのですが、東洋医学を発端に心や体と向き合う中で、気分をどうにかしようとするよりも体を変えていく事の方がよっぽど簡単で楽である事を身をもって体感しています。

最後に

人間は、人間である前に動物です。
体を使い、動かすことに喜びを感じる生き物です。

私達の脳が発達し、あれこれと様々な事を考え過ぎてしまう事に加え、現代は特に体よりも心に重きを置き過ぎる生活により、かえって心の苦しみが助長されているような気がしています。

そんな時に身近な植物や動物、東洋医学の自然の教えや人間の原点を振り返ってゆくと、もっともっと人間もシンプルで良いのではと考えさせられます。

体はいつも素直で正直です。
心よりも遥かに私達が心地良く過ごせる方法を知っています。

自分自身の体を信じ、生きていきたいものです。

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